報告・リポート

飛島サッカー生みの親が逝去

投稿日:2011年10月16日 更新日:

生川 司氏が10月13日逝去された。

この人は飛島村にサッカーというスポーツを持ち込んだ人と言っても過言ではない。
同時にスポーツ少年団という組織を本村に初めてつくった人でもある。

それは今から43年前のこと。生川氏は飛島小学校の教員であった。
当時は今のように子どもたちがスポーツをする組織はなかった。
そこにサッカーという競技でスポーツ少年団を結成。私も小学校5年生で創設チームの
メンバーに加わった。

その時代は野球が全盛で『巨人の星』というアニメが大人気。私も野球選手として頑張るつもりであった。

ところが定期的にサッカーを練習をしているうちにサッカーの面白さにはまっていった。
近隣にもまだスポーツ少年団のチームがなかったため、よく三重県や静岡県まで試合に行ったものだ。

村外に出る機会が少なかった飛島村の子どもたちも試合に行くことで村外へ出る機会が増え、
飛島村以外の子どもたちとふれ合う機会も増えた。
私にとっても団体行動の原点であり、サッカー人生の基礎にもなった飛島サッカースポーツ少年団である。

後から聞いた話だが、生川先生は自分の給料を私たち団員のバス代等の交通費やジュース代に使っていたらしい。
当時は「親の会」もなかったため、お金の出所がない。先生の給料と時間は我々スポーツ少年団員に
つぎ込まれたことが推察される。

その献身的な尽力のおかげで本村にスポーツ少年団組織とサッカーが根付いた。
生川氏の播いたサッカーの種は43年をかけ大きく育ち、今では飛島サッカースポーツ少年団の活動も安定し、
卒団した関係者は数多い。

現在、そのOBが後進の指導にあたり、その指導を受けた団員がまた指導者として団に戻ってくるという
好循環ができあがっている。また、スポ少で育った親がその子をスポ少に入団させる。
まさに、生川氏が思い描いていた理想の社会体育の形が完成したと思う。

現在、飛島サッカースポーツ少年団は生川氏の理念を引き継ぎ、指導者たちが毎週土日、子どもたちに
サッカーの技術はもとより人格形成に及ぶ指導をしている。

こうした現状に至るきっかけをつくっていただいた生川氏に敬意と謝意を表すると共に、
心より御冥福をお祈り申し上げたい。

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