8月10日、11日と議員視察で宮城県と千葉県を訪れた。
宮城県は仙台市と亘理町と山元町。千葉県は浦安市。
主な目的は宮城県が津波被害、千葉県が液状化被害の視察をすることであった。
今回の議員視察は例年のものとは少し違った。
例年だと視察先市町村の先進的、或いは特徴的な取り組みを視察する。ところが
今年は被災地の視察ということで、どこの自治体でも、もちろん飛島村でも
被災したら否応なしに対応が求められる防災行政の視察だからである。
被災地と飛島村を重ね合わせながらの視察は自ずと関心の度合いが高くなる。
3月11日以降、何度もテレビを通じて被災地の映像を見てきたが、実際被災状況を
目の当たりにするとテレビでは伝わりきれなかったものが感じられた。
それは基礎部分しか残っていない住宅、大事故に遭ったように破損した車、
箱をひっくり返したように散乱した墓地の墓石、子どもたちがおびえながら屋上へ
駆け上がった小学校校舎、線路もなくなり建物の一部だけが残った駅舎などそれぞれの
場所で被災当時の人の動きや恐怖心、そして被災された人の無念さや喪失感が手に取るように
わかる気がした。
宮城県沿岸部を視察して感じたことは自然の力に対して、人間の力はあまりにも微力であり、
人間の知恵や人間がおこなう防災工事では到底自然の力を凌駕することはできないということ。
翻って本村の防災対策は最低でも命を失わないために、自然をやり過ごす避難所と避難経路の確保が
最低限の防災対策であることは間違いないと思う。
今回視察した宮城県亘理町と山元町の沿岸部は津波の被害さえなければ非常に風光明媚で海産物も
豊富な素晴らしいところだったということは想像に難くない。
どんなに時間がかかろうとも、この災害に屈することなく、復旧・復興することを願うばかりである。
千葉県浦安市のレポートは次回のブログ記事でを報告するつもりである。
高く積み上げられた瓦礫の山
津波の被災住宅。この辺りは家がたくさん建ち並ぶ住宅地だったそうだ。
避難の遅れで100人以上が津波の犠牲になった老人福祉施設。
全校生徒約50人が屋上に逃げて助かった小学校。外見は被害なさそうに見えるが校舎内の被害は大きい。
小学校の体育館。天井が津波で抜け落ちている。
津波で倒れた小学校の時計台。津波の到達時間で時計が止まっている。
防潮堤が津波によって倒壊していた。津波の威力のすごさを物語っている。