この時期の飛島村は田植えの真っ盛り。
村内あちこちの田んぼで田植え機が田植えをおこない、苗を荷台に
いっぱい積んだトラックが村道を走っている。
約20年くらい前は私も自家用の田植え機で泥まみれになりながら田植えをしていたものだ。
今思えば、2条植えの田植え機は能率が悪く、労力も時間もずいぶんかかった。
自分が植えた苗を振り返って見るとクネクネに蛇行しており、恥ずかしい思いもした。
そんな農作業であったが不思議なことに辛いとは思わなかった。のどかな田園風景を見ながら
自分のペースで田植えをすることが私にとって快いスローライフを体感する機会になっていた
のかもしれない。
翻って、現下の飛島村の田植えは個人で田植えをする人は少なくなり、オペレーターが大きな
田植え機を使って大規模におこなっている。
様変わりした大きな要因に米価の値下がりがある。私の記憶では一俵3万円前後で売れてた時が
あったと思う。それが今では1万2~3千円。個人農家の米作りに対しての意欲が低下するのも
無理もない。今後、日本がTPPに参加すれば言わずもがなだ。
昔は田んぼがたくさんあることが、その家の経済的安定かつ精神的安定につながっていたと思うが
今では経費全てを入れると採算的には赤字になる。つまり経済的な負担になっている。
将来的には売価が安くても田んぼを手放す人が増えてくることも予想される。
飛島村ののどかな田園風景がいつまで保全されるのか。
農地が転用されたら元に戻ることはない。村に田んぼが少なくなると「発展した」という
受け取り方もあるが、その土地の使途によっては生活環境が悪化するということにもなる。
飛島村の環境保全は採算の合わない農地を維持し続けるという犠牲の上に成り立つものなのか、
自問自答している。